2001年11月6日












 白銀 武は香月夕呼から、人の形を取り戻した『鑑 純夏』に会わせてもらうことができるようになった。

 彼女はまだ液体に満たされたケースの中に横たわって眠っており、まだ意識が戻るには10日ほどかかり
 いくつかの処置が必要と夕呼は言っていた。

 その人間純夏を調整しているのは 社霞と00ユニットの純夏であったが
 武は 00ユニットの純夏には会うことはできず、あの日以来言葉を交わすどころか姿さえ見ることができていない。


 それにしても霞には感謝してもしきれないと武は思う。
 目の前の眠る人間の純夏のことや、御剣 冥夜の看護のことといい 、
 彼女にはまったく世話になりっぱなしだと武は頭が下がるばかりであった。



  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 今日の午前の武は、未だ目を覚まさない冥夜の看病をすることになった。
 看病とは言っても多くのことは、共に付き添っている霞がやっており武は手持ち無沙汰になっている。
 それでも霞の話では、その部屋に武が居ることで眠る冥夜にとって良い影響があると言っていた。


 実は、武には知らされていないことだが、武が冥夜の看病をすることになったのは別の理由もある。

 それは昨日、彩峰慧の再度の平行世界からの『記憶の関連付け』 の実験が行われ、結果から言えばそれは成功した。
 だが、実験以降 慧は頑なに武と顔を合わせることを拒んでいたのだ。
 それは平行世界からの記憶が影響しているのだろうと夕呼は考慮して、武と慧を会わせないように配慮したのであった。

 だから、武は検査を終えた後の慧には会えず、その後のシミュレーター訓練などは、見学をすることもできていない。


 夕呼からその訓練結果を聞くことになったのだが、慧は伊隅ヴァルキリーズはもとより207の榊千鶴や鎧衣美琴をも圧倒した強さを見せたと言うことである。
 『2回目の世界』でそこまで慧は強かっただろうかと武は疑問に思った。
 だが夕呼の話では、慧に関しては『2回目の世界』の記憶よりも『武と結ばれた1回目の世界』の記憶の方を継承してしまっているということだった。

 あの世界の慧は、武の操縦技術を習得し 彼と唯一連携を上手く組めるほどに強かったのを覚えていたので武も納得がいった。

 この成果に大いに喜んだ夕呼は、一刻も早く冥夜も起こすべきだと考えるようになり
 霞に対し冥夜の記憶をリーディングとプロジェクションの能力を使って、平行世界からの記憶の乱流を整理する試みとなったのである。




「霞・・・大丈夫か?」

 冥夜の病室で、椅子の上に ちょこんと可愛らしく腰を下ろす霞に武はそう呼びかける。
 リーディングという能力は思いのほか体力を使うらしい。
 そして同時にプロジェクションも行なうことで霞は度々休憩を挟むことになっていた。

「――大丈夫です、白銀さん」

 武は、社霞という女の子は絶対に弱音を吐いたり、甘えたりなんかはしないと言うことを知っている。
 それは、夕呼の影響を多大に受けているせいもあるのだろうし、オルタネイティブ3の実験によって生を受けたという過酷な生まれの理由もあるのだろう。
 だから大丈夫という言葉を真に受けたりはしない。

 しかし、武にできることは実際には限られており、結局霞をリラックスさせたり話をして気を紛らわせてやったりすることしかできなかった。

「そっか・・・ なぁ、霞。その・・・ 00ユニットのほうの純夏は元気にしているのか?」
「はい、とっても元気です。一緒にご飯を食べたり、よく私の世話を焼いてくれようとしています」

 本来、00ユニットは食事をする必要はない。
 それでもそうしたことに純夏が付き合うということはこっちの霞も随分好かれているんだなと武は思う。
 
「俺はさ、一度しか純夏と会えてないから今のアイツがいまいち何考えてんのかよくわからないんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「ま、アイツのことだから余計な気をまわして、色々抱え込もうとしてるだけなんだと思うけど・・・
  アイツは・・絶対に幸せになんなきゃいけないんだよ、俺はそう思ってるし、俺が出来ることは何でもするつもりだ。
  だからさ、そのことを純夏にも伝えて欲しいんだ・・・」

「・・・わかりました、白銀さん」

「・・・それにしても、やっぱり霞は硬いなぁ」
「――かたい、ですか?」
「あーーゴメン。前の世界の霞は随分と柔らかくなってたからさ、つい比較しちまって・・・」
「――すみません」
「霞があやまることじゃないんだ・・・俺の方こそ霞に前の世界の態度を押し付けようとしてた」
「いいんです。私も白銀さんの記憶の中にあるように笑ってみたいですから」


 そう言われて武は気が付いた。
 この『3回目の世界』では、色々ありすぎてあまり霞に構ってやれていないということに・・・
 そして『2回目の世界』で、霞は思い出が欲しいと、あの丘で言っていたことを・・・

「なぁ、霞はあの実験を受けていたんだっけ?」
「はい、でもあまり効果がありませんでした」

―― やっぱりこの世界では、あんまり霞には好かれていないのかぁ〜〜

 そう武は思いつつ、だからといって思い出作りに また『あやとり』をするのは芸がないような気がした。

「そうだ、霞は絵本とか物語を読んだりするのか?」
「――物語ですか? ありません」

 霞はオルタネイティブ3を成功させるために作られた人間である。
 そのため不必要と思われる情報は一切与えられていない。
 武もわかってはいたが、改めて霞の口から聞くとショックであった。

「知り合いに絵本を集めたり、描いたりしている人がいるんだ。あとでそれを借りてきてやるよ」
「いいんですか?」
「おうよ、任せとけ!!」

 『2回目の世界』のように霞にも笑って欲しい、そう強く思う武であった。



  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 涼宮遙は趣味で童話を描いている。
 そのことを思い出した武は昼休み、遙の元に訪れた。

 遙に霞のことを話し、童話を貸してもらおうと、いくつかの童話を見せてもらっていた・・・
 その中で ある一つの未完の物語に目が留まる。

 

 ・・・・・・・・・



―― それは とてもちいさな おとぎばなし

 

ある世界のある王子と2人の美しい姫の物語


世界を統べる竜の呪いによって王子の婚約者である『朱き姫』は決して目が覚めることのない眠りに落ちる。
竜を倒すべく旅立つ王子はその途中で『蒼き姫』と出会い共に旅をすることになる。

長き旅路の終わり、竜を倒す王子。
しかし、竜の最期の呪いが王子に降りかかる・・・ それを『蒼き姫』が身を挺して庇うのであった。

『2人の眠り姫』 を目の前にして魔女は王子に尋ねる

お前は 1人の姫しか救うことが出来ない
さてさて 王子はどちらの姫を選ぶのか?


一人の姫は全てを知るもの、王子の後悔を願いを苦しみを知り理解を示すもの
もう一人の姫は何も知らぬもの、ただ無邪気に王子を愛し唯一の癒しを与えてくれるもの

ただ王子は姫たちの想いを知らない


必要なのは正しき選択ではない
必要なのは正しき行いではない



 ・・・・・・・・・



「涼宮中尉、この話の結末はどうなるんですか?」

「にはは・・・ えっとね、思いついたままに描きはじめたから、まだ終わりが決まってないの」

「すっごく最後が気になるんですけど、やっぱりハッピーエンドがいいですよね」
「そうだね、私もどんな形であれ、最後には2人の姫には幸せになって欲しいかな」
「・・・・・・・・・・・・・・」

いくつかの童話を借りて、武は遙の部屋を後にした。


 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




―――― 午前 B4F 通路



「ねぁ、茜・・・ あんたは白銀中尉のことをどう思う?」

 ブリ−フィングを終えての移動中、速瀬水月は後輩である涼宮茜に声をかけてきた。


「えっ・・・・ 水月先輩? それってどういう意味ですか? もちろん衛士として、とてつもなく凄いって思いますけど・・・
  そういう意味じゃないですよね」

「そうよ。異性としてどう思うかって聞いてんのよ」


 茜はそんな水月の態度に驚きを隠せない。
 水月と姉である涼宮 遙はかつて同じ訓練兵として競いあった『鳴海 孝之』のことを互いに好きになっていた。

 だが彼は、水月たちが衛士に任官する20日ほど前の作戦で亡くなっており それ以来、水月からは表面上はともかく、深いところでは異性に関わることを避けていると思っていたからだ。

「私は別に、白銀中尉には興味はないですね・・・ 」
「でも、207のあの子達なんか、みんな白銀狙いでしょ?」

 そうなのだ、そのことには茜も驚いた。
 
 特に207は個性派ぞろいで趣味とかも一見合わなさそうであるのに、親友である榊 千鶴はもとより、彼女とは水と油の関係である彩峰 慧までもが武に想いを寄せていることに気付いた時、正直 茜は信じられない思いで一杯になった。

「やっぱり水月先輩もそう思いますか?」

「そりゃあ、端から見ててもあの子達はわかりやすすぎるわよ・・・
  で、実際あの子達と同期である茜から見て白銀に何か感じることはある?」

「もちろん、白銀中尉は結構男前だしやさしそうで、その辺の男に比べたら強くて有能で この基地でも一目置かれる存在だとは思うんですけど・・・・ 私にはなんか重いっていうか 肌に合わない感じです」
「・・・・それだけ?」

「うーん、上手くいえないんですけど自分の知っている千鶴たちは、強いとか、カッコイイとか、有能であるとか、そう言った理由だけで人を好きになるような子じゃないんです・・・ だから、私なんかじゃ知らないところで白銀中尉に惹かれているとは思うんですけど・・・」

 その茜の言葉を反芻するように水月は考え込む。

「水月先輩は白銀中尉に興味があるんですか?」

 正直 『ない』と言って欲しかったが茜のそんな期待はすぐに打ち砕かれた。

「もち、よ。興味がますます湧いたわ。面白くなりそうね」

 いつもはそんな好戦的な水月に憧れる茜も、この時ばかりは彼女によく振り回される姉のように ため息をついていた。
 

―――― 昼休み 通路


「それで先輩・・・、私達は何をしているんですか?」
「何ってストーキングよ、ストーキング!」

 一応、この行為が『ストーキング』であることに自覚があることに茜はホッとする。

 昼休みに入ると水月は茜を連れて武を探しに来ていた。
 そして武を見つけると、話しかけるでもなく物陰に隠れ、伊達メガネの姿で手帳を取り出し水月は何かをメモしていく。
 そのメガネは変装のつもりのようだが、それによってより怪しさが増したことは言わないほうがいいだろうと彼女は思った。


「それでストーカーなんかをどうしてやってるんですか?」
「ねえ茜・・・ あんた強くなりたいとは思わない?」

 まったく水月が、何が言いたいのか茜にはわからず ただ混乱する。


「どういう意味ですか?」
「副司令にね、彩峰たちがなんでそんなにも強くなったのか尋ねたのよ。
  だっておかしいでしょ? 数日やそこらで何年も戦術機を乗ってた私や大尉なんかよりずっと強くなってるなんて」


 たしかに茜も興味があった。
 千鶴たちの成長には確かに驚いた。しかしそれは自分が知らないだけで密かにそういった訓練を受けていたのかもしれない。
 だが、彩峰慧は先日武がまだそのレベルに至ってないという理由でヴァルキリーズとの合同訓練に参加させてもらえなかったはずだ。
 それが昨日は凄いと思っていた千鶴や美琴よりも遙かに凌ぐ戦闘技術を披露して見せたのだ。

 武には及ばないものの、彼女は6機のヴァルキリーズを相手をしても持ちこたえたのである。
 たった数日でそこまで強くなれるのであれば、自分もそうなりたい・・・

 それはたぶん207訓練小隊を近くで見てきた者なら、誰しもそう思うはずである。


「そ、それで香月副司令はなんていったんですか?」
「それがね、白銀のことが好きか? って聞かれたのよ・・・」
「―― はぁ? なんですかそれ・・・」
「それで、衛士としては興味があるが男としては特になんとも思わないって答えたら、出直してきなさいって言われたわ・・・
  訳わかんないわよ」

 本当に訳がわからないと茜も思う。
 だが、副司令は所謂天才だ。凡人である私達がいくら考えてもわかるはずがないのかもしれない・・・
 ただ、一つ言えることは、実際千鶴たちは白銀中尉のことが好きで、そして彼女達は本当に強くなってしまったということだ。

 『恋する乙女は強くなる』といった、娯楽小説などにありそうなフレーズを思いついた自分に茜は失笑してしまった。



「もし・・・・・ 白銀中尉を好きになることで強くなれるんだったら、先輩はどうするんですか?」
「そんなことでパーッと強くなれるんなら、すぐにでも白銀のことを好きになってやるわよ」

 そう言って水月はおどけて見せ、茜はそんな言葉を複雑な思いで聞いていた。
 茜もまた、姉の遙や水月と同様に死んでしまった鳴海 孝之に密かな想いを持っていた。
 だから水月が他の誰かを好きになることで、孝之の存在が忘れられていくようで悲しかった。

「ねぇ茜。いつまでも死んだ人間のことを思っていても仕方がないのよ・・・ 私達は生きてるの。
  生きてるってことは まだここに居てやるべきことがあるってことなのよ」

 だからと言ってそんな水月の言葉に茜は納得ができなかった。
 自分達の3人の中で一番彼の死に打ちのめされていたのは水月本人ではなかったか?


「まぁ、遙との勝負は私が勝つかもしれないわ〜」

 そう言って水月は笑ってみせる。

 孝之の死を知った後、遙と水月はどちらが早く、良い男を見つけるか という約束を2人はしたのだ。
 それは水月の強さでもあり弱さでもあった。
 そう考えなければ、水月は悲しさのあまり心が潰れていたし
 好きな人を取り合った遙と何かを共有していないと、自分達の関係が結局そこで終わってしまうとも思ったからだ。
 だからこそ、彼女が強引に姉と約束をとりつけたことを茜は知っている。


 自分も早く、孝之以外の男を見つけるべきかも知れないと思っている時、水月の声で茜は現実に引き戻らされた。

 

「―― あれっ白銀の奴、遙の部屋に入っていくわね」


「え、おねぇちゃんの部屋に? 一体なんで??」
「さぁ、私もわからないわ。遙は戦術機に乗らないからそんなに接点がないって思っていたけど・・・ 
  茜は遙から白銀のことは聞いてないの?」

「姉さんの口からは噂以外の白銀中尉の話は一度も聞いたことがないです」
「これは、何かあるわね・・・ まさか遙ってば、私より早くに白銀に唾を付ける気!?」
「―― あの・・・先輩はおねぇちゃんのことをそんな目で見てるんですか?」

 茜にジト目でみられさすがの水月も言い訳をする。


「あはははは・・・ 遙と私は、性格は違うんだけど 妙に行動が似通っちゃうのよね〜〜 
  それにあの子って裏で何かを進めるのって得意じゃない?」

 確かに姉がいつの間にか、孝之のことを好きになって気づけば付き合うかもって話になっていたことや、見た目のおっとりさからは想像も付かない内に秘めた強さを思い起こすと、茜もなんだか水月の言ったことが本当のことのように思えてきた。

「そ、そんな〜〜、白銀中尉がお兄ちゃんになちゃう訳? そんなことになったら、千鶴たちに合わせる顔がないよぉ〜〜」
「副司令や神宮寺軍曹のことを、夕呼先生とかまりもちゃんとか呼んでるから 案外白銀って年上にしか興味がないのかしら・・・」

「あ、ありえますね! 千鶴たちって結構かわいいのに白銀中尉は手を出していませんものねっ!」
「どうする? 私達も遙の部屋に行ってみようか?」
「い、いやですよ〜〜 ちゅーとかしてたらどうするんですか!!」
「――いや、その先に行ってるかもね・・・」
「えぇぇぇーーーーっ!!!」


 もちろん2人がしている邪推がまったくの的外れであるのだが、それを知る由もない。

 しばらくして、武が童話の絵本を何冊かを片手に持って部屋から出てきた時 ようやく2人は落ち着いた。

「つまんないオチね・・・」
「変なことを言わないでください。むしろ平和な日常のためにはこれで良かったんです・・・」

 そういいながら、茜もちょっとだけ残念に感じたのは秘密である。






―――― 夜 速瀬水月の自室



 速瀬水月は迷っていた。

 好きでもない男を好きになるのは難しい。それに207訓練小隊のあの子達に対しての罪悪感も少しはある。
 だが、そんなノンキなことは言っていられないのだ。

 自分に今必要なのは、羞恥心でもなければ罪悪感でもない。BETAを凌駕する『力』だ。

 当初、A-01部隊は100機近くからなる連隊であった。
 しかし、任務を重ねるごとに衛士は減っていき、残るは伊隅ヴァルキリー中隊を残すのみとなってしまった。
 先に逝ってしまった者達のためにも 自分達は生き残り任務を遂行していかなければならないのである。


 水月は頭ではわかっている、だがどうしても体が震えてしまう。
 好きでもない男に近付き、必要であれば体も許そうとは思っていても、なかなか体が言うことを聞かない・・・
 結局は、自室の中をウロウロと歩き回る始末である。

 そして気が付けば死んでしまった鳴海孝之のことばかりを考えていた。

―― もし、あいつが今の私を知ったらどういうかなぁ〜〜

 答えのない問いを中空に投げかけながら、水月は もはや何度目かわからない往復を部屋の中で繰り返していた。






――――
 夜 白銀武の部屋

 

 社霞に涼宮中尉から借りた『マヤウルの贈り物』を武は読んで聞かせた。

 『別れの言葉』を贈られる少女の話。
 武は『さよなら』が嫌いだ。
 できることなら、自分は『またね』を言い続けていたい。
 そんなことを思い夕呼の執務室で報告を終えてから、武は自室に戻ってきたのである。



「・・・・・・・・・・・・・・何しているんですか?」


 なぜか部屋に酔っぱらった水月がいた。

「やぁ〜ねぇ〜〜白銀〜。そんな硬い声をしちゃって・・・」

 そういて水月は近付いてくると武の胸板に軽く拳を付く。


「速瀬中尉・・・また酔っぱらってますね・・・」
「ちょっとお酒を飲んだだけよぅ。酔ってなんかないわ〜〜」

 いかにも間延びした応え方をする様は、どう見ても酔っているとしか言いようがない。
 それにしても毎回なんで酔うと俺の部屋に居るんだ? 
 武はそう思わずにはいられない。


 まぁ、今回に限っては彼女が何で来たのか、だいたい予想はついた。

 夕呼の話では昨日のシミュレーション訓練で、彩峰慧が実験の成果を大いに披露したらしい。
 ヴァルキリーズはもとより、同じ実験を受けた207の千鶴たちも圧倒したということだ。
 先任たちの身になれば、こうもポンポンと強くなれるのなら自分達もそうなりたいということであろう・・・


「夕呼先生に、実験のことを聞いたんですね?」
「あら、察しがいいじゃない白銀〜・・・ なんかね〜、あんたのことを好きじゃないといけないっていわれたのよ〜〜
 
あたしゃ、どしゅりゃあいいわけよっ!!」

 酔った水月は小細工が嫌いなためか、結局武に対しストレートに思いをぶつけてきた。

「・・・・先生からは、どこまで聞いているんですか?」

「ほとんど、何ぃもおしえてもらってにゃいわよ〜〜、必要にゃら、白銀にききなしゃいってよ・・・」


 先ほど、夕呼にあった時には、そんなことは一言も武は聞いてない。
 平行世界の秘密などは 一時は墓の下まで持っていくと言っていたのに、いまやそんな扱いとは・・・・・・
 随分と自分の知っている世界とは変わってしまったのだと思わずにはいられない。


「どこをどう説明したらいいかなぁ〜〜〜」

 水月が信用できないわけではない。だが彼女も軍人だ。
 冥夜たちであれば、軍の命令と自分の信念とであれば、信念を優先してしまうことを武は世界のループの中で知っている。

 だが、水月に関して知っていることは『2回目の世界』のことだけで、それも数日しか知らないのだ。
 迂闊に平行世界のことを口にして、夕呼以外の上官に報告してしまって、その情報が他に知れ渡ってしまうこともあるのだ。


 そんなことを武が考えていると、目の前で水月が服を脱ぎ始めた・・・・・

――ち、ちょっと、は、速瀬中尉っ!! あなたは何やってんですかっー!!!」

 この人はお酒を飲むと脱ぐ癖でもあるのだろうか? 武は慌てつつも脳の裏側でそんなことを考える。


「見てわかんにゃいの? 服をぬいでんにょよぅ〜〜」
「い、いや、それは誰が見てもわかりますよ! 俺の前で脱いでる理由を聞いてるんですっ!!」
「・・・・いや、白銀ぇに抱いてもらおうかにゃあ〜と思って〜〜(ポッ・・・)」
「はぁ〜〜〜〜?」

 もはや武にとって彼女が軍人であるとか、信用がどうという以前に、この『速瀬水月』という人物がよくわからない。
 なんで実験の話をしに来たはずなのに、彼女と寝るというとこまで跳躍してしまうのだ?
 それが酔った人間であるためなのか、それとも水月という人間の性癖なのか、検討もつかない。


 もちろん、水月にも一応の理屈があった。
 彼女は武を好きになるためにまず体を許そうと。

 気持ちが全然盛り上がらないのであるなら、体から盛り上げてしまえばいい。
 既成事実さえ作ってしまえば、自分の心など どうとでも変わってしまうと彼女は思ったからだ。

 そしてそう考えることが、一番楽だと感じたのである・・・


「と、とにかく速瀬中尉、落ち着いてまずは服を来てください!」

「なによぅ、おじけづいたの? あんただって初めてってわけじゃないでしょ?」

「そ、そういう話じゃないでしょ! それに俺には好きな奴がいるんです・・・ 俺はアイツを裏切るようなマネは したくなんです」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「こっちに来てから、まだ会えてませんが、アイツには俺が必要なんだと思います・・・だから・・・」
「・・・・・うふふ、結構 カワイイとこあるじゃない、白銀ぇ〜」
「あ、あのですね、速瀬中尉――

 その言葉が終わりきる前に、水月は武の口を塞いできた。そう自分の唇で・・・


―― ち、ちょっと何をするんですか!? いきなりっ!!」

 ジタバタしながら武は水月を引き剥がす。

「やぁ〜〜ね〜〜、もっと空気を読みなさいよぅ〜〜」
――そ、それは、こっちのセリフですっ!! 俺の話を聞いてましたか? ダメだっていってるでしょー!!」


 そう言いながら武は少しずつ後退りをする。
 それは 手をワキワキと動かしながら にじり寄ってくる水月と距離をとるためだ。

 

「あんたも〜 私も気持ちよくなって〜、そして強くなれる。一石二鳥、いや、三鳥よねぇ〜〜」

「俺の気持ちはどーなるんですか!」
「いいじゃない、そんなものは捨てておけば」
「ううっ・・・・ 」
「気持ちなんて、不確かなものよりも、重要なのは、強くなれるかっ、否かよっ!!
 
確かに気持ちとか〜 価値観とかは、重要と思うわぁ。
 
でもね、あんたが私を愛してくれて、それで私もあんたを好きになることができて、強くなれるならそれでいいじゃない?
 
私は別にあんたを独占しようなんて、これ〜っぽっちも思ってないし〜 愛人2号でも3号でも何でもいいわよぉ〜〜」


 時折見せる水月の真剣な表情から、本当に彼女が酔っているのか、それとも酔ったフリで自分を誤魔化しているのか武にはわからない。
 そうこうしている内に、なおも水月は迫ってきており、とうとう武は壁際まで追い詰められてしまった。


「私にとって重要なことは、任務をより少ない損害で成功させて〜、究極的には人類を勝利に導くことなのよぉ。
 
私が強くなれればぁ、あんたのお気に入りの207のあの子達もより楽ができるってもんじゃない?」

 確かに、水月の言っていることも武は正しいとも思う。
 この世界では、人権とか、ヒトの気持ちなどは、二の次だ。
 いかにBETAを駆逐するかが、人類に課せられた命題なのである。


「心を犠牲にすることで強くなれるというなら、私は喜んでそれを差し出すわ。こんな時代だもの・・・・
 
力が無いとね、いつ信じていたものが、確かなものが、失われるか わからないのよ・・・」

 そう話す水月の瞳には、言い知れぬ悲しみの光が宿っているのを武はみた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 だからこそ、武は真実を告げようと思った。



「速瀬中尉。こんなことをしても、きっとあなたは強くなることなんかできません」
―― どうしてよ。207のあの子達は強くなってるじゃない?」
「あいつらは特別なんです・・・」


 『特別』・・・・ 思わずその言葉に水月はカッとなった。


「あたしとあの子たちがどう違うって言うのよっ!! 家柄や才能の差って言うわけっ!?」

 水月は武の胸倉を掴み上げ、感情を隠さぬまま憤る。
 対する武は急速な速さで冷静さを取り戻していく。

「・・・・・ 俺の記憶の中には、速瀬中尉と付き合っていたという記憶がないんですよ」
「あ、当たり前でしょ、あんたと私はまだ出会って間もないんだから!」

 そう答えつつも水月は違和感に気付いた。

―― あんたは、207のあの子達とやっぱり付き合ってたの?」

 内心、見事に騙されたと思い武を見るが、相手はまた変なことを言う。

「いいえ、あいつらとは付き合ってませんよ」
「はぁ〜? あんた何が言いたいのよ・・・」
「少なくとも、この世界では付き合っていないと言うことです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 目の前の男の言うことが わからない・・・
 だが、その真剣さから その言葉に何かしらの意味があることだけは水月にもわかった。


「言ってることが良くわかんないからさ、キッチリ説明しなさいよね」

 そう言って彼女は脱ぎ捨てた衣服を拾い上げると、ベッドの上に腰を下ろす。

「夕呼先生の『実験』っていうのは、この世界とは異なった平行世界からの記憶を呼び覚ますものなんです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 水月は のっけから聞き返したい言葉が出そうになるが、それを飲み込んで武に先を促す。


「委員長・・・じゃなくて、榊と鎧衣は『オルタネイティブ4が上手くいった世界』、彩峰は『オルタネイティブ4が失敗してしまった世界』、珠瀬に関してはよくわかってませんが――、 とにかくBETAのいる世界の異なる平行世界からの記憶を継承することによって、たった数日で彼女たちは強くなることができたんです」

「平行世界・・・・ エベレットの多世界解釈のことね。
 
香月副司令の実験でどんなことが起こっていたのかはわかったけれど・・・・
 
それと白銀を好きになることに一体どんな関連性があるって言うのよ」


「それは上手く話せません。
 
一つ言えることは、207が『特別』というのはその才能でも家柄とかは関係ないと言うことです・・・
 こことは違う平行世界で『俺にとって特別』だったか、そうでなかったかと言うことなんです」

「そっか。それで、あんたの異常な強さもその辺と関係があるわけ? その平行世界の記憶とかが」
「詳しくは話せませんがそんなところです」

「つまり、平行世界で接点の無い私が、副司令が行なう実験をしてもあまり意味が無いってことなのね」
「そういうことです。たとえ強くなれても、二ヶ月程度で手に入れられる強さです」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「その程度なら、今の中尉と俺の指導があれば、2週間ぐらいで到達できるはずですよ」


 自分の貞操を捧げた行いが2週間程度の時間を得るためと聞いて、さすがの水月も気が削がれてしまった。


「一つだけ、教えて欲しいの・・・」
「なんですか?」
「人類はBETAに勝てるのかしら? あんたの記憶の中に・・・ 私達にそんな未来があるの?」

 叱られた親からの言葉を待つ子供のように水月は、武に耳を傾ける。

―― 俺の記憶にある、唯一BETAに対し一矢を報いた世界では・・・
 俺は、速瀬中尉たちも、委員長も 美琴も たまも、慧もそして冥夜も・・・・・ 守ってやれませんでした」


 その言葉で、茜が指摘した『重さ』の正体の一片を水月はわかった気がした。
 おそらく彼は、この世界にいる誰よりも私達人類が今、危うい状況にいることを理解している。
 それはたぶん、人類の滅びを目の当たりにした者の『重さ』なのだ。


 気付くと、目の前の男は表情を隠すように頭を深く下げていた。

「ち、ちょっと、どうしちゃったのよ白銀。私はあんたに謝られるような事は何もしてないわ」

 むしろ、こっちの粗相を謝罪したい。

「速瀬中尉と唯一接点があった世界で、俺はあなたに衛士としての心得を叩き込まれました・・・ そのことを一言・・・」
――やめてよね、そういうの」
「え?」
「私は、あんたの知ってる速瀬水月じゃない。だから感謝なんかされてもむず痒いだけよ、こっちは。
 
そういうのは自己満足っていうの。心の中で勝手に思うのはいいけど、口に出して言われた身になってよねぇ〜」

 明後日の方向を向きながら水月は不機嫌そうに言う。
 もはや、そこには酔った痕跡は見当たらなかった。

「すみません。気持ちを勝手に押し付けたみたいで・・・ 中尉には前にもそんな感じで怒られてました」


 まりもがBETAに惨殺された時、自分の不手際を悔やんで水月に謝り、殴られたことを武は思い出す。 
 水月はそうじゃないと言うが、やはり武にとっては、世界が違っていても同じ速瀬水月ということになってしまう。



「やっぱり、ダメだわ」

 ふいに水月はそう言った。

―― 何がですか?」
「いやね、白銀のことを好きになるんだったら、そういうあんたの弱い部分も受け止めてやらなきゃいけないんだろうけど、まだ自分のことで精一杯だわ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「あたしは昔、どうしようもないくらい優柔不断で特に取り柄もない人間を――
 
私も何で好きなのかわかんないのを好きになっちゃってね、色々あったんだけど、今も忘れられないみたいね。
 今回のことで  それがわかっちゃたわぁ〜〜」

「鳴海 孝之さんのことですね」
―― うっ、なぜそれをっ!!」


 周りに自分と遙が2人の男を取り合っていたことを公言していたが、まさか武もそれを知っているとは思わなかった。
 逆切れするように水月は武を睨む。


「い、いや、こことは違う平行世界で・・・・・き、聞いたような気がするんですが・・・・」
「・・・・・・・まったく、平行世界の記憶ってのは厄介なものね」

 ぶつぶつと文句を言う水月。
 それを見て、武は思い切って話しておこうと決めた。

「速瀬中尉は、もっと人を想う気持ちを大切にしてください・・・」
「・・・・・・・・・・なによ、今更死んだ人間のことを想えっていうの?」
「そうです。」

 それは水月にとって意外だった。
 大体そんなことを言うのは何も知らないガキと相場が決まっている。
 何としてでもBETAに勝たないといけないという人間の言葉とは思えなかったからだ。

「少なくとも俺の記憶の中にある中尉は、人を好きになる気持ちはその苦労よりも十分に価値があるって言ってました」
「・・・・・・・・・・」

「それに・・・ 唯一、BETAのオリジナルハイヴを攻略できた世界では・・・・・・ そんな『想い』が世界を救ったんです。
 
恋人をBETAに殺されて・・・  なお、その人を想い、願い、信じていた人がいたんです・・・・
 
その・・・ 想いが・・・・ 奇跡を起こしたんです・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「たとえ、この世界で結ばれなくても・・・
  どこかの別の世界で、その人と結ばれているのかも しれません・・・・
  
もしかしたら、理由もわからずに その人のことを好きになるのって
  そういうことなのかなぁー なんて、俺は思ったりもするんです」


 水月は何も言えなかった。
 肩を震わせて話す目の前の男が何を見てきたのかはわからない。
 だけれども、その言葉には多くの真実が含まれているように優しく水月の心に響いていた。


―― あんがと、白銀。 私はちょっとムキになってたみたいね。たぶん207のあの子たちにいろんな意味で嫉妬してたわ・・・・
 
無理に人を好きになろうなんて、やっぱ私らしくないわねぇ〜〜」


 すっかり険の取れた顔で・・・・ 武がはじめて見る笑顔で、水月はそういった。
 
「馬鹿みたいだと思ったこともよくあったわ・・・」
「――え?」
「いい加減、死んだ人のことを想い続けるなんてね、子供がすることだって」
「・・・・・・・・・・・・」
「でも、あんたの言葉で随分楽になった・・・・・・」


 そして服を着終えた彼女は、ヒラヒラと手で挨拶をしながら部屋を出て行った。


 そんな水月を見送りながら、武は思う。
 みなが人を信じて、人を好きでいられるなら、奇跡など期待しなくても絶対にBETAなんかに負けはしないだろうと・・・・






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