―――― リフレイン 御剣冥夜
「あのさ、冥夜・・・ 俺達、付き合うことになったんだ」
正月に久しぶりに実家に帰った冥夜は、大広間を思わせるような居間でくつろいでいると
突然
着慣れない感じで窮屈そうなスーツ姿でやって来た武にそう言われ、しばらく唖然となってしまっていた。
「ど、どういう事なのだ、タケル! 付き合うとは、まさか・・・」
冥夜は武を前にして戸惑っていると彼の後ろから双子の姉である悠陽が優雅な笑みを湛えて現れた。
「冥夜、タケル様は、この私と結婚を前提に付き合うことになりました。
これからは、あなたの義理の兄にもなりますので、どうかこれからも仲良くなさって下さいね」
悠陽は本当に嬉しそうに、しかし堂々と冥夜との武争奪戦の勝利宣言を上げるのであった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
正直、冥夜はしてやられたと思った。
温泉旅行の途中から、姉と武が良く一緒に居るのを見ていた。
その後の南の島でのバカンスでは、月詠から2人だけで出かけているという報告も受けていたが、あまり変った様子はなかった筈であった。
油断している訳ではなかったが、いつの間にかこれほどまで2人が急接近していたとは、状況を読み違えていたとしか言いようがない。
悠陽の後ろでは、月詠の従姉妹にあたる真耶がニヤリと笑っており、冥夜の後ろでは月詠が悔しそうに臍を噛んでいるところを見るに
こちらは情報戦においても策略においても姉上達に遅れをとっていると言わざるを得なかった。
「さすがは、姉上としか言う以外にありません。 本当におめでとうございます・・・
タケルもおめでとう・・・ どうか姉上を幸せにしてやってください・・・ 御願いいたします」
「お、おい。気が早いぞ、冥夜! 俺達はまだつきあい始めたばかりなんだぞ。
そりゃ、一応結婚とかも考えているけどな、まだそれは早いし、心の準備が全然――――」
「あら、タケル様は遊びで私をお抱きになったのですか?」
「ぶぅーーーー!! ゆ、悠陽! ここでそんなことを言わなくても――――」
「しかし悠陽さま、武様。 こちらではもう式の日取りをお決めになっているのですが・・・」
そう言って口を挟む悠陽の付き人の真耶。
そんな3人をどこか冥夜は醒めた目で見ているしかなかった・・・
否、そうでもしなければ取り乱してしまいそうであった。
ずっと武のことが好きであった。
小さな子供の頃にした、幼い結婚の約束・・・
それを忘れることなく、ずっと覚えていた。
それは姉も同じではあったが、彼への想いは負けていないと思っていた。
いや、自分は誰よりも強く、武の事を想っているのだと信じていた。
だからこそ 『絶対運命』 で結ばれていると自信を持って言い切れていた。
・・・だが、結果はどうであろうか?
武は、自分のことを覚えてすらいないように見えた。
そして、彼は自分ではなく、双子の姉を選んだのだ・・・
武は自分の前で幸せそうに笑っている。
その笑顔は自分に向けられた物ではなく、そして再会して2ヶ月以上たった中で初めて見るスッキリとしたものであった。
イライラしていた・・・
心の内側からドス黒い何かが湧き出てくるのが感じられた。
もし、武の相手が双子の姉で無かったなら、力ずくで奪ってしまいそうであった。
いや、自分の双子の姉に奪われたからこそ、これほどまでも動揺しているのかもしれない。
容姿もソックリであり、御剣を同じく背負う者であり、同じく武を好いている。
自分たちは同じ条件の上に立っていた。
にもかかわらず、武は自分ではなく、姉を選んだのだ。
・・・・・・・・・自分という存在が否定された気がした。
この武に対する十数年にも及ぶ想いが全く持って無意味であったと知らされた。
何でも器用にこなす姉がまたもや優れていたと証明されていた。
自身の愚直さがまたもや露わにされていた。
黒い感情のままに全てを壊してしまいたい衝動に駆られてしまう・・・
武の意思など関係なしに拉致をして、自分のモノにしてしまいたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だが、幸せそうに武と話をしている姉の顔を見ていると、冥夜は動けなくなってしまうのである。
姉のその幸せは
日々の絶え間ない努力と鍛錬によって手にしたモノであることを冥夜は知っている。
彼女は御剣を背負う者として、自分の感情を無闇に晒すことなどしない。
いつもにこやかに笑ってはいても、本音は別の所にある人であり、双子の妹でもある自分でさえ時としてその本心を見極めかねた。
もしかしたら、そんな姉は自分以上に武の事を想っていたのではないだろうか?
感情を抑えきれず幸せそうに笑う姉は、十数年にも及ぶ想いが満たされた故のものでは無いだろうか?
・・・・・・・・・・・・そこまで考えてしまうと冥夜は何も出来なくなってしまうのであった。
「冥夜様、大丈夫でございますか?」
月詠が、心配そうに話しかけてくる。
「うむ、私は問題ないぞ」
「し、しかし ―――」
「月詠。 今日は、元旦であり しかも姉上の喜ばしい日でもあるのだぞ・・・ そのような顔をするでない」
「――― も、申し訳ありません 冥夜様」
「悔しくないと言ったら嘘になるが、あのような姉上を見ていたら、これで良かったのではないかと思うぞ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あれほどまで嬉しそうな姉上の顔など私は初めて見た。
この結果は、姉上の方がタケルのことをより強く想っていたからであろう・・・
そう思えば私は2人を心から祝福することができる。
そして、もしタケルと姉上の仲を引き裂こうとする者が現われたなら、私は全力を持ってそれを排除する・・・
そのことを月詠も覚えておいてくれ」
「分かりました冥夜様。 そのお心にそえるよう微力ながらも最善の努力を持って私も対処したいと思います」
「うむ・・・ そなたに心からの感謝を・・・」
そう言って冥夜は本家の居間から自身の部屋へと戻っていった。
白銀武は御剣冥夜にとって初恋の相手であった。
そして、これが初めての失恋であった。
しかし、部屋で一人になっても、特に涙などは彼女は一滴も流さなかった・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
年が明け、白稜柊も3学期が始まると幾つかの大きな変化が起こっていた。
まず、武は学校には忙しくて来られなくなっていた。
御剣の一員として、悠陽を支える夫として相応しいものになるために、本家で多くの世界的にも優秀な教授達に囲まれながら
最先端かつ最新の設備で再教育を受けているということである。
それは、1分1秒刻みでスケジュールが組まれており、武は多少、愚痴りながらも悠陽のために黙々と頑張っているようであった。
そしてそれほどまで忙しいのであるから婚約者である悠陽ですら中々会えない状況のようであり
武と少しでも長く一緒にいたい彼女は、武がいない白稜柊に通う理由もないことから、彼女も学校に来ることを辞めてしまったのである。
だが、そんな悠陽とは逆に、冥夜は3学期からも学校には顔を出していた。
「今まで庶民の暮らしとかけ離れた生活をしてきたのだと、ここに来て実感する・・・
そして卒業してしまえば、もうこうした生活は出来なくなるであろう。
私の最後の我が儘を許していただきたい」
御剣本家にそう言い残すと、冥夜は横浜にある別宅へと帰っていった。
冥夜の本心としては、武達と顔を合わせることが辛かった。
本家にいれば、少ない時間であったとしても、2人に会いそして話をする可能性が出てきてしまいそうであった。
だから彼女は、らしくないと自覚しつつも逃げるように学園生活に帰って行ったのである。
がだ、帰ってきた彼女が目の当たりにしたものは、まさに ある楽園が衰退し荒廃した姿というべきものであった。
千鶴や慧は取り付かれたように受験の最後の追い込みをやっており、美琴はまた父親に連れ出されたのか学校にすら来ていない。
晴子は早々に推薦で進学を決めているようで、黙々とバスケの練習に打ち込んでいた。
純夏はいつも泣きはらした目をしており、一緒に住んでいる霞がいつも側にいて彼女を慰めているようであった。
冥夜はそんな純夏にあまり近づくことが出来ず、なぜか自分に付きまとうマイペースな壬姫とほんの数週間前にまで存在した、
在りし日の楽しい風景を懐かしむように語り合うだけだった。
それでも、慧が志望校に合格し、美琴も無事に帰ってきて、千鶴も大学に受かった頃にはみな落ち着きを取り戻し
前のようには行かないまでも、少しずつ色々なことを語り合えるようになるまでにはなっていた。
純夏の方も霞の頑張りがあって、目を赤くしている日にちも徐々に少なくなっていき冥夜とも顔を合わせて話せるようになっていた。
そして、卒業式。
その日だけは、白稜柊に武と悠陽が帰ってきていた。
幸せそうな2人を純夏も霞も冥夜もそして千鶴達もいつものように、そして笑顔で祝福し迎え入れ御剣財閥の力もあって
創立以来初めてなほどの盛大な卒業式となった。
総理大臣などが出席し、祝辞などをのべ、卒業生全員に御剣特製の金のバッチが送られるなど色々と前代未聞であった。
武と悠陽は名残惜しみながらも式が終わって1時間ほどで皆にわかれを告げて渡米した。
冥夜と純夏、霞、千鶴、慧、壬姫、美琴、晴子は卒業旅行と、そして失恋旅行も込めて欧州にある御剣の別荘へと遊びに行くのであった。
古城を巡り、お土産を沢山買い込み、月詠達が手配した食事を皆で楽しんだ。
「ねぇ、冥夜・・・」
古城を模した別荘で夕食を終え、ベランダでグラスを片手に冥夜が涼んでいると、純夏が1人、話しかけてきた。
思えば、武に振られて以来純夏と面と向って2人で話すのは久しぶりであるような気がしていた。
「顔色が良くなったようだな」
「えへへへ・・・ 最後ぐらいしっかりしてないと、この旅行が終わったらみんなバラバラになるもんね。
これ以上心配ばかりかけていられないよ・・・ でも旅行の事とか、卒業式にタケルちゃんが来てくれるように
手配してくれた事とか、本当にありがとう」
「いや、私が好きでやったことだ、気にしなくて良い」
純夏を見ると、まだやつれた感じは否めない。
それでも、一時期のことを考えれば随分と良くなっている冥夜は感じるのであった。
武への想いは誰にも負けていないと思っていたが姉に武を奪われてしまった冥夜。
だが、武のことを思っていたのは、自分一人ではなかったのであった。
白稜柊に再び訪れて、それを改めて実感した3ヶ月であった。
何よりも、目の前の女性はいつも武の側にいたのだ。
そしておそらく、自分と同じくらい武のことを思い続けてきたのだ。
そして、気が付けば涙を流している純夏に比べ、涙を流さない自分は随分薄情かもしれないとも思わないでもなかった。
「私ね、これからどうすればいいのかサッパリ分からないんだ」
冥夜から目を外し、純夏はベランダから見える風景に視線を移す。
「そなたにも、人生の目標とか、夢とかがあるであろう?」
「私の夢はタケルちゃんと一緒にいること。タケルちゃんのお嫁さんになることだったんだよ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
そう言われると何も言えない冥夜。
「冥夜の目標は、御剣財閥を悠陽さんと一緒に背負い、共に繁栄させていくことだよね?」
「ああ。そのお陰で、この旅行が終わったら 次は私が結婚相手を見つけなければいけないようだ・・・」
「えっ! それって・・・」
「政略結婚と言うやつだ。 月詠の話だとお祖父様達はすでにお見合い候補者何人かにしぼりこんでいるらしい」
「め、冥夜はそれで良いの?」
「仕方、あるまい。 唯一望んだ相手は、姉上を選んだのだ・・・
それに御剣を背負うと言うことは当然、このような事態も覚悟はしていたことだ」
「そ、それは悠陽さんも同じなのかな・・・ もしタケルちゃんが悠陽さんを選ばなかったらやっぱり諦めていたと思う?」
「・・・・姉上は強引な所はあるが、それでも引き際は分かっている人だ。 私は同じであると思うぞ」
それを聞くと純夏は、顔を下げ俯いたまま動かなくなってしまっていた。
「わ、私もね、タケルちゃんが他の人を選んだんだから諦めなきゃって思ってた。
大晦日の日にタケルちゃんは悠陽さんのことが好きだって私に言ったんだ・・・
だからね、もう
どうしようもない事なんだって思ってた・・・
でもね・・・ タケルちゃんのこと忘れられないんだよ。
ずっとずっと一緒にいたから・・・ 私の思い出の中にはいつもタケルちゃんがいたんだよ。
タケルちゃんが居なくなったら、私が私でなくなっちゃうよ・・・」
そう言って顔を上げた純夏の顔には生気が一つも感じられない。
「私の方がすっごく、すーっごくタケルちゃんの事を思っているのに、何で一緒になれなかったんだろ・・・
仕方がないって諦められる人達に何で盗られちゃったのかな?」
冥夜が気が付くと、純夏の両手が自分の首にかけられていた・・・
(な・・・何をするのだ、鑑っ!!)
声を上げようにも想像を超えた強い力が首を絞め、冥夜は息をすることもままならない。
「冥夜や悠陽さんが現われなければ、ずっと、ずっと私はタケルちゃんと一緒にいられたのに・・・
なんで私たちの前に現われたのさ」
(・・・・くっ、早く手を・・・ほどかなければ・・・・・)
冥夜は純夏の手を解きにかかるが、力を入れようとも、爪で肌をえぐろうともその力は決して緩むことは無い。
「で、でもね。 冥夜達には感謝もしているんだよ。 私ね、失って初めて気が付いたの・・・
ずぅーっと幸せだったってこと。 タケルちゃんが居れば他には何も要らなかったんだって事を・・・
とっても恵まれてたのに、それが分かっていなかったから私は罰が当たったんだよね?」
そう言ってうっすらと笑う純夏の顔に、冥夜は狂気の色を見る。
「・・・は・・・離す・・・のだ・・鑑っ!!」
「ねぇ・・・私は反省しているんだから、そろそろタケルちゃんを帰してよ、悠陽さん・・」
焦点の合わない目つきで冥夜をそう呼ぶ純夏。
「・・・か・・・かが・みっ・・・わ・・たしは・・」
「意地悪はもう止めてよ・・・ 私にはタケルちゃん以外に何も要らないの・・・ だから、返してよ・・・ 悠陽さん」
「―――― 私は、冥夜だっ!」
そう叫びながら冥夜は渾身の力を込めてようやく締められていた手を外し、純夏の次の行動に備えようとする。
「諦めることが出来るなら諦めてよ・・・ 私には無理だよ・・・ 会いたいよ、タケルちゃん」
しかし、純夏は糸が切れたようにうずくまるとか細い声で泣くばかりであった。
冥夜は月詠を呼ぶと、ベランダに蹲ったまま一人ブツブツと何かを喋る純夏を介護させると、自身は個室に戻って考える。
まさか武の幼馴染みがこれほどまでに、心が壊れそうになるまでに彼のことを好いているとは思わなかったことを・・・
だが、自分は純夏より武を想う気持ちが負けていたとは思いたくは無かった。
「私と武は絶対運命で結ばれているのだ」
だから、この武を想う気持ちが負けてあって良いわけがなかった。
しかし、彼女は言った。
何も要らないから、タケルに側にいて欲しいと・・・
果して自分はそう言いきれるであろうか?
何よりもタケルが大事だと言い切れるであろうか?
自分は御剣よりも白銀武を選ぶことが出来るであろうか?
・・・・・・もし、それが言い切ることが出来ていたなら、いま武の側にいるのは双子の姉では無く、自分であったのかもしれない。
そう思うとやりきれない気持ちになった。
その後も色々あった。
純夏の看病は霞が引き受けていたのだが、目を離した隙に自殺を図ろうとした。
そういう事があって、卒業旅行は後味の悪い形で終えることになった気がする・・・
幼馴染みの現状を知った武は、悠陽を振り切って、私たちの元にやって来ようとした。
その時、事故が起こった。
武の乗る御剣の専用機がカリブ海域上空で行方不明になったと言うのだ。
月詠はいち早く教えてくれたが、冥夜にはすべきことが何もなく、ただ呆然とするしかなかった。
それを知った純夏は狂った様に笑い、そして泣きながら
『私を捨てたから罰が当たったんだよっ!』 と喚いていた。
ただただ、捜索隊からの続報を待つだけとなっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんな世界は受け入れられなかった。
タケルを姉上に盗られても流さなかった涙がでた。
タケルに会いたいとだけ心に思っていた。
そして気が付けば、見知らぬ病室で目を覚ましたのだ。
「ここは、どこだ? なぜ私はこんな所で寝ているのだ?」
もしかしたら、連日の疲労で倒れたのかもしれないと思った。
(月詠が運んでくれたのか・・・)
そう思って、ふと 隣を見れば、そこにはもう会えないと思っていた武が寝ていた。
「―― どういうことだ? なぜ、そなたがそこにいるのだ・・・」
最近は、泣いてばかりでいた目からまた、涙が溢れてくる。
「タケルっ、タケルっ、タケルっ、なぜそなたがそこに居るのだっ? 全く、心配をかけおって・・・」
次から次へと流れ出る滴を冥夜は止めることが出来なかった。
「月詠、月詠は居らぬのか?」
そう呼び掛けてみるが、返事がない。
いつもであれば、月詠か巽達の誰かが、自分の周りにはついている。
こちらに何も言わないで離れるなどと言うことは決してない。
辺りを見回すと武の向こうには純夏が寝ていた。
「・・・・良かったな、鑑。 タケルは無事に帰ってきたのだぞ。 本当に良かった」
最近は
やつれて元気な面影を失っていた純夏を思い出す。
今は武の側で、幸せそうに出会った頃のような感じで眠る彼女を見ていると、冥夜は安堵の溜息を吐くのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ここは、異世界と言うことですか?」
「そうね、あなたにとっては少なくともそう言う事よ」
目覚めた後、冥夜は半ば強制的に身体検査を受けさせられ、そして よく知る香月夕呼の前に連れてこられていた。
そして、この世界のこと、自分たちが置かれている状況の説明を受けた。
正直な話、その説明はとても信じられるものではなかったが、横浜基地から見える屋上の風景や戦術機と呼ばれるロボット兵器、
自分のことを忘れている社霞や月詠真那などと会ってみると、さすがに受け入れざるを得なかった。
そして、何よりも行方不明で、もう死んだと思われていた白銀武が自分の側で眠っていたことが何よりもその説明を信じさせていた。
「私たちが帰る手だてが無いのは分かった。 それよりもタケル達はどうなっているのだ?」
「そうね、外傷は見あたらないし、2人とも健康そのものよ。 ただ、あなたの場合もそうだったけどいつ目覚めるかは不明ね。
明日にでも目覚めるかもしれないし、1年後かもしれない。 眠り続ける理由が不明なんだから仕方がないわ」
「そうであるか・・・」
その後も夕呼は冥夜にこの世界の事や、自分がいた世界のこと、これからのことを聞いてきた・・・
色々と冥夜も答えていたが、気持ちはすでに此処にはなかった。
早く武に会いたい。 そして目覚めた武ともっと話がしたいという気持ちで一杯だった。
3日後、先に目覚めたのは、純夏の方であった。
夕呼から訓練兵にならないかという誘いを断り、冥夜は清掃のアルバイトを斡旋して貰っていた。
バイトを終えて武達が眠る部屋に帰って見ると純夏の眠るベッドが空になっていた。
冥夜は彼女の姿を探すが、すぐに目についた。
純夏はベッドから転げ落ちて、病室の床に投げ出されていた・・・
純夏は満足に身体が動かせないようで、芋虫の様に這いずりながら隣に眠る武の元に行こうとしているようであった。
「タ・・・ル・ ・・っん・・・・タ・・ケ・・・ち・・・・・ん」
そして、身体だけではなく、舌も動かないようで、上手く声も出ていない。
ポロポロとただ泣きながら、それでも動かない身体に鞭を打って少しでも側に寄ろうと藻掻いていた。
「タケ・・・っ・・ん・・・・タ・・ケル・・ちゃ・・・ん・・・タケル・・・・ち・ゃんっ!」
そう言って少しでも武に近づこうとする純夏。
少しずつ少しずつ、這って早く武の元に行こうとする。
だが、ベッドの足下にまではやってこられることが出来たがそこまでであった。
純夏は何とか起き上がろうと試みるが腕も満足に上げることが出来ず目の前にいる武に会うことも叶わない。
泣き叫んで武に呼び掛けようとするが、それも声になっていない。
「タケ・・・ル・・・ちゃ・・ん・・・ ・・・ケ・・・・ ・・・ちゃん・・・ 私・・・ここ・・・だよ・・・タケ・・」
冥夜はこれ以上、見ていられなかった。
純夏が武のことを好きなことは承知しているはずであった。
武への想いは誰にも負けていないと信じていた。
だが、今の純夏を見ていると激しく心が揺さぶられていた・・・
目の前で一生懸命に武を求める彼女を助けたい気持ちで一杯になっていた。
冥夜は純夏の元にソッと近づくと、その身体を持ち上げてやる。
純夏は最初、何が起こったか分からないようであったが、次の瞬間冥夜の顔を見ると睨み付け酷く暴れ出していた。
だが、冥夜はそれに構うことなく、純夏を武の眠るベッドに下ろしてやるのであった・・・
すると純夏は少し目を丸くしてすぐ武に向き合うと精一杯話しかけていた。
「鑑・・・タケルはずっと眠り続けているのだ・・・」
そう言って純夏に現状を説明しようとするが、その声は届いていないように無視される。
結局、冥夜は世話になっている看護婦たちに純夏が目覚めたことを伝えに部屋を後にしたのであった。
純夏もその後精密検査をうけ、そして夕呼から今置かれている状況の説明を受けていた。
冥夜も自分たちを担当してくれている穂村という看護官から、純夏の身体の状態を聞いていた。
「原因は分からないが、衰弱しているということか・・・ しかし、異常が見られないと言うことは、また鑑の身体は動くようになると言うことなのだな?」
「はい。 鏡さんの身体自体は至って健康です。 あとはリハビリしだいですよ」
と穂村の言葉を聞いて冥夜は心から安心する。
そして、冥夜はバイトに励みながらも、喋ることも動くこともできない純夏と眠り続ける武の看病をしたのであった。
最初のころは、純夏は冥夜から看病されることを酷く嫌悪し、必死になって抵抗しようとした。
冥夜自身も純夏から武を奪ったのは、自分に瓜二つ姉であると思うと仕方がないと考えていた。
だから彼女は、自分と姉と武との出会いや交わした約束のこと、御剣での日々の中、その約束が二人にとって
どれほどの意味があったかということや、武との再会でのこと、皆でやって料理対決や球技大会と称したサバイバルゲームや
温泉旅行、南の島でのバカンスが自分たちにとってどれほど大切な思い出であるかを丁寧に語るのであった。
こちらの想いを知ってもらえれば、少しは純夏の心にも落ち着きが出るのでは無いだろうかと冥夜は思ったからだ。
事実、最初は敵意と懐疑な眼差しで見ていた純夏であったが、毎日話す冥夜の想いに徐々に落ち着きを取り戻していくようであった。
そして、冥夜より悠陽の方を武が選んだ話になると、自身のことを思い出したのか、純夏も何故か泣いていたのであった。
しかし、純夏が目覚めて4日目が過ぎようとした頃、ようやく彼女は喋れるようになると彼女は奇妙なことを言った。
「私・・は、悠陽さんなんて・知らない・・ あなた、本当に・・冥夜?」
その言葉は悠陽の存在を認めようとしない、純夏の心の抵抗かと冥夜は思った・・・ だが、
「霞ちゃん・・て・・誰? ・・私達の・・球技大会は、ラク・ロス・・だった・・ 外国人の先生・・なんて・知らない
温泉旅行には・・柏木さんは居なかっ・・た・・ 南の島に・・みんな・でバカンス・・なんて行ってない・・」
訳が分からなかった。 悠陽のことはともかく、あれほど仲が良かった霞のことも純夏が忘れていることは、冥夜には釈然としなかった。
(鑑は現実が受け入れられないならありもしない妄想の世界に逃げ込んだのか?
だが、そうであるならなぜ姉上や社だけでなく、なぜ私のことも忘れていないのだ?
それに柏木が温泉旅行に来ていないことなど、何か意味があるというのか?)
冥夜は考えれば、考えるほど純夏が何を考えているのか分からなくなってしまった。
いっそ彼女が狂ってしまったと断定してしまえば、自分を納得させることは出来たかもしれない。
しかし、彼女の目を見ているとどう見ても正気であり、理性の光がともっていた。
そして次の純夏の言葉が、何よりも冥夜を驚愕させていた。
「私と冥夜・・で、タケルちゃんを奪い合って・た・・・ でもタケルちゃん・は冥夜を選んだ・・・」
「な・・・・何を言っているのだ、鑑? タケルは私を選んでなどいないっ!!」
「クリスマス・・イブの前日・・ タケルちゃんは・・冥夜を・選んだんだよ・・ 今までの・・生活を全部・・捨てて
冥夜・・を選んで・・・ 私の前から居なくなっちゃったん・・だよ」
「――――――――!!」
「あなたは、私の・・知って・いる冥夜とは・・違うの?
私は冥夜が・・・話してくれたこと・・なんて知ら・ない・・・
冥夜も・嘘を言って・・・ないなら・どういう事・・なの・かな?」
冥夜は身体の奥底がザワザワした。
純夏は旅行の時より顔色も良く、肌などは生まれたての赤ちゃんの様に綺麗で柔らかい。
そして、何よりもあの彼女の両手で首を絞められた時に付けてしまった、爪痕は何もなかったように消えていた。
頭の奥がズキリと痛む。
武の身体は卒業式に見たとき以上にガッシリと、そして、所々に擦り傷や古傷が見受けられていた。
なぜか、そんな身体を見ていると、体は熱くなり狂おしいほど愛おしくなる。
なぜか、涙が出そうになる。
手足が震えてきて、立っていることもままならなくなる。
自分の肌にはもっと艶と張りがあったはずであった。
鏡をみてもその面影は無く、手には多くの肉刺が出来ていて、カサカサだ。
そして、記憶にあるよりも2まわりほど筋肉が付いているような気がした。
冥夜は気持ち悪くなり、トイレに急いで、そしてそこで胃の中のモノを全て吐きだした。
キモチワルイ・・・ キモチワルイ・・・ キモチワルイ・・・ キモチワルイ・・・
何が真実で、何が偽りなのかが分からなくなる。
あるいは、全てが真実であるような真理があり、自分の常識が間違っていただけなのであろうか?
それとも全てがデタラメで、これは自分を貶めるための罠なのであろうか?
武を見たときとは違い、訳も分からず、悔しくて涙が出た。
月詠や姉上という存在、御剣財閥というものが、自分にとって如何に大きなもので心の支えになっていたのか、思い知らされた。
そのような絆から全く切り離されて、眠る武達だけが頼りで、この先この訳の分からない世界で生きていかなければいけないのだ。
だが、その信頼すべき武達がふと得体の知れない者に思えてきた。
―― アレは本当に私の知っているタケルなのか?
そう思うと同時にまた、口から吐瀉してしまう・・・
信じていたモノがまた一つ打ち砕かれた気がして、震えが止まらなかった。
「私は御剣冥夜だ・・・ 私は御剣冥夜だ・・・ 私は御剣冥夜だ・・・」
冥夜は自己暗示をかけるようにそう呟く。
「私はこのような困難ごときで挫けてはならぬ。
御剣を背負うのならば、あらゆる想定外の事態も受け入れ、対処出来なければならぬ。
たかが、世界が違うだけだ・・・ 何も怖れることは無い。
例え、恐怖に駆られても、顔に出すでない。
弱気な心は相手不安にさせ、それが敵であれば付け込まれるだけだぞ・・・」
しばらくの間、冥夜はトイレの個室の中で心を落ち着かせ、そして部屋に戻ることには顔色だけは普段のように戻っていた。
「大・・・丈夫・?」
「ああ、取り乱してすまないな、鑑。 それよりも、そなたが体験してきたことをもっと詳しく話して欲しい」
「うん・・・わ・かったよ・・」
そして、純夏から聞かされた話にしばらく冥夜は耳を傾けた・・・
御剣では、双子は家を分かつという理由から、幼い冥夜は姉と引き離されて育ったこと。
その姉と両親が交通事故で死んでしまい、冥夜は御剣の次期党首としてお祖父さんに育てられたこと。
御剣に戻るとき、偶然、武と出会い
冥夜にとってとても大事な将来の約束を交わしたこと。
そして、高校3年の秋に冥夜は武と純夏の前に突然やって来たこと。
そこで行なわれたドタバタとした密度の濃い日々とクリスマスイブの前夜の武と純夏の決別。
武を失い、一人で苦しんでいた純夏のこと・・・
それらを聞き終えて、冥夜は溜息を吐いた。
真摯な純夏を見ていると、それが嘘であるとは思えなかったし、幾つもの疑問から彼女が自分の知る
『鑑純夏』 では無いと認めるしかなかった。
「そなたは、これからどうするつもりなのだ? 香月教諭・・・いや、香月副司令の話では、私たちが元の世界に帰れる見込みは無いらしい・・・」
「冥夜は・・・アルバイトをしているん・・だよ・ね。
私は・・とりあえず・・リハビリ・だよ。 こんな・・体じゃ何も出来ない・よ。
あと・・は、タケルちゃん・・が・目覚めて・から考える・・・」
「なぁ、鑑。 今そこに寝ているタケルは、本当に自分が知っているタケルだと思っているのか?
例えば、私やそなたの様に、全く別の平行世界からやって来ている可能性もあるのだぞ・・・」
それは冥夜が一番危惧していること。
「・・・でもね、冥夜は・・私にとっては・・・冥夜だし、・・香月先生は・・・香月先生。
そ・して・・・タケルちゃん・は、タケルちゃん・・だよ」
そう言って純夏は嬉しそうに笑った。
その笑顔に冥夜は何処か寒気がした。
「私は・・タケルちゃんがいて・・・初めて・・私になるの・・・ だから、別の・・・世界とか・・関係・無い・の」
心底、幸せそうに笑う純夏。
「しかしだな、鑑。 もしタケルが全く別の世界から来ていて、そこには私たちが存在しなくて、私達を他人と接してきたら、どうするのだ?
全く私たちの知るタケルと性格が違う可能性だってあるのだぞ!」
もし、自分のことなど覚えていなくて、拒絶などされたらと思うと冥夜は苦しくなる。
「あんた誰だ?」 などと言われたら・・・
自分好きな武と正反対な性格をしていたら・・・
そんな風に考えると、冥夜は目の前が真っ暗になる気がした。
しかし、そんな冥夜の心配を余所に不思議そうな顔をする純夏。
「タケルちゃん・・は・・・タケルちゃん・・・ 例え・・どんな・に変っても・・・タケルちゃん・・ 私はそれで良い・・私はそれで・・かまわない・よ」
純夏はそう言い切り艶っぽい目で自分の側に眠る武を見る。
その姿に冥夜はゾクリと肌が泡立つのと同時に、自分が酷く小さなことに拘っているような気がしてきた。
そして、武の眠るベッドの中で幸せそうに体を寄せている純夏を見ていると、チクリと小さな敗北感が湧いてきて来た。
「だがな、鑑。 そなたはそれでも良いが、タケルがそう考えるとは限らないぞ・・・
タケルが自分の世界に帰りたいと言い出したら、そなたはどうする気だ?」
意地が悪いと思いつつも、つい言ってしまう冥夜。
すると純夏は絶望のどん底に叩き落とされたように、気の毒なくらい青い顔になる。
「ど・・どうしようか・・・冥夜。 私・・そんなの嫌だよ・・・
そ・・そうだ・・・先に・既成・事実・を作れば・・・」
そう言って動けない体を無理に動かして純夏は服を脱ごうとする。
一生懸命服を脱ごうと藻掻く純夏ではあるが、もぞもぞと動くだけで一向に叶わないのを見ていると、まるで子供の様に見え
そんな純夏と自分が張り合っていたことに可笑しくなってしまった。
「な・・何よ・笑わ・ない・でよ・・冥夜・・・既成事実を作るんだから・・手伝って・よ・・」
「まったく、どうして私がそなたとタケルの夜伽を手伝ってやらねばならないのだ」
「わ、私の・・次なら、冥夜・にも・・タケルちゃんを譲って・あげるから・・・」
それを聞いて冥夜は赤くなるのと共に、頭が痛くなってくる。
「ヤレヤレ・・・馬鹿を申すでない。 私の目が黒いうちは、そのような独断は許さぬぞ」
と、冥夜は武のベッドにいる純夏を抱きかかえると、隣のベッドにと移動させる。
「うう・・ケチ・・・、ケチ冥夜っ!!」
などと言って親の敵を見る眼で睨む純夏だが、先ほどのような迫力は全然伴わず、冥夜はただただ溜息しかでない。
そして、折角であるから先ほどの答えを聞きたいと思った。
「なぁ、鑑。 香月副司令は、私たちは元の世界には帰れないと言っていた。
だがな、私には彼女の物言いには
何かを隠しているように感じてならなかった・・・
もし、元の世界に帰れるとしたら、そなたはどうするのだ?」
冥夜は真面目な態度でそう聞くと、うって変わって純夏の方も真面目な顔になった。
「私は・・元の世界に・帰っても・・・そこには・タケルちゃんは・・いない・んだよ・・
だから・・この・世界に・・・タケルちゃんがいる限り・・私はその側にいたい・よ」
「だが、タケルが帰りたいと言ったらどうする?」
すると困った顔をするばかりで、純夏は何も言わなかった。
武に無理を言って嫌われでもしたら、例え同じ世界に居ても会えなくなることはあるのだ・・・
沈黙する純夏の気持ちも冥夜は分からないわけではなかった。
「ねぇ・・・冥夜・は・・どうするの? ・・・元の・世界に帰・・れることが・出来たら・・・帰っちゃう・の?」
「私は――――」
冥夜の頭の中に様々な考え、想い出や記憶が過ぎっていく。
目の前に眠る武は自分の知らない武かもしれない。
自分の知る武は、飛行機事故で死んでしまっているのかもしれない。
元の世界では、月詠や姉が一生懸命、探しているのかもしれない。
背負うべき御剣財閥は自分を失っても大丈夫だろうか?
「――私にとっても、タケルはタケルだ・・・ だから、タケルが側にいてくれるなら、この世界に留まりたい!」
胸を張って冥夜は言い切った。
元の世界よりも、武を選びたい・・・ 自分の直感がそれを望んでいた。
自分の肉体が、武を欲していた。
武のいない世界など、冥夜は受け入れられそうに無かった。
そして、なにより・・・ ここで純夏より引いてしまえば、自分は武を手に入れる事が出来ない気がしたからだった。
『絶対運命』が、自分と武を三度引き合わせたのだと、冥夜は考えることにした。
この冥夜の一言に、なぜか純夏は嬉しそうに頷いて、
「うん・・・お互いに・頑張ろう・ね・・・」
と、言ってくれる。
武が目を覚ましたのは、それから6日後の事であった。